【アド・アストラ -スキピオとハンニバル-】とは?
カガノミハチ作の歴史漫画で自身初の連載作である。
ウルトラジャンプで2011年4月から2018年2月号まで連載されていて2018年3月刊行の13巻で完結している漫画です。
アド・アストラの時代背景は世界史でもかなり初期に習う古代ローマ時代です。
ハンニバルと言う名前から羊たちの沈黙のハンニバル・レクター博士を想像する人もいるかも知れませんが、こちらのハンニバルは古代ローマを震え上がらせた天才的な用兵家であり、後に優秀な政治手腕も発揮するハンニバル・バルカです。
歴史の授業ではサラッと終わってしまうところですが、その用兵術は現代の陸軍の戦術基本にも取り入れられるほど大きな功績を残した人物です。
このアド・アストラはカルタゴのハンニバルとそれに対抗し後にハンニバルを匹敵する人物として成長するスキピオの姿を描く漫画です。
ハンニバルとスキピオは第二次ポエニ戦争でカルタゴ側とローマ側でそれぞれ中核をなす人物で、戦争初期には新兵同然でありローマ軍の一兵卒に過ぎなかったスキピオが、ハンニバルの戦術に翻弄されながらもその敗戦から教訓を得て持ち前の才覚をもってハンニバルに匹敵する傑物へと成長していく姿を描いています。
作中でハンニバルが用いた戦術も図解や部下に作戦を語ると言う形で詳しく解説されていて、いかにしてその結果を招いたのか?というところがわかりやすく説明されています。
アド・アストラとはラテン語のper aspera ad astra”困難を克服して栄光を獲得する”と言う言葉から取られている。
第二次ポエニ戦争とは?
紀元前219年 – 紀元前201年に起こったカルタゴとローマの戦争。この戦争によってハンニバルがローマに与えたインパクトは壮絶なものがあり、後世までハンニバルの名はローマ最大の敵として語り継がれることになった。
前半はハンニバルの気候や地形を利用した巧みな戦術とローマ軍が数に頼った力押しの戦法を取ったことでローマ軍は敗走を重ねた。
特に歴史に名高いカンナエの戦いではローマ軍の軍勢8万6千人のうち死者捕虜合わせて7万を越えたとされ、対するカルタゴ軍は死傷者合わせて6千人程度であったとされる。
この戦いでローマは執政官アエミリウスを含む支配者層25%を失うという大打撃を受けた。
この戦いの後カルタゴの侵攻は停滞し、戦争は膠着状態に陥る。
この背景にはローマに対してカルタゴの土木技術が劣っていたために攻城戦を苦手としていた事があると言われている。
野戦においては地形や自然の活用、陽動からの包囲殲滅などハンニバルはローマ軍を圧倒したが、事の発端となったサグントゥムの攻城戦には8ヶ月かかっており、その後の快進撃に比べると非常に時間がかかっていることがわかる。
短期でローマの城塞を攻略するには攻城兵器や兵站が不足していると判断したハンニバルはローマと同盟を結ぶ都市国家の離反を画策したが、思ったような成果が上がらなかったことが、ハンニバルにとって大きな誤算だったと言われている。
その間に頭角を現したスキピオにより戦いの趨勢はローマへと傾いていく。
ローマ軍はハンニバルのとの直接対決を避け周囲の切り崩しを進めていくことでハンニバルは次第に動きを封じられていった。
最終的にスキピオはハンニバルとの戦いに臨まず直接カルタゴの本国を急襲し、その結果ハンニバルは軍勢を率いてイタリアから撤退することとなった。
その後ザマの戦いでハンニバルとスキピオは直接対峙し、ヌミディア騎兵を得たスキピオ率いるローマ軍にハンニバルは完全な敗北を喫することになる。
この敗戦をきっかけとして第二次ポエニ戦争は終結する事となる。
ハンニバルのその後
ポエニ戦争の終戦の後、カルタゴの貴族たちが権力を失ったことが、敗軍の将であるハンニバルが政治家として返り咲くきっかけとなった。
政治家としてカルタゴの復興を進めたハンニバルは不可能と思えた賠償金を完済するに至った。しかし、その再建能力を恐れたローマの反カルタゴ派と、強引な手腕によって賠償金を完済したハンニバルに対して不満を抱く不満分子が反ハンニバル派を形成し、ローマに讒言をしたことからハンニバルはシリアへと亡命する。
その後最終的にビテュニア王国でローマの追手から逃れようとするも、果たせず自害したとされている。
イタリアでは「戸口にハンニバルがいた」と言う危険が迫っていると言う格言があり、転じて「ハンニバルが来てあなたを連れて行ってしまうよ」と子どもを叱るたとえとして使われているという。
ハンニバルは優秀な司令官であり政治家であったが、晩年は居場所を追われ転々とする事になった。
もしカルタゴ本国がカンナエの戦いの後、勝利を求めて本格的にローマを攻めていたらスキピオの台頭を許さず、ローマは滅亡して世界史は別の歴史を刻んだかもしれませんね。